江戸時代末期、日本は長く鎖国体制の下で閉ざされていた。しかし19世紀半ば、欧米列強がアジア進出を強める中で、日本は開国を余儀なくされた。黒船来航(1853年)に象徴される外圧は国内政治を根底から揺るがし、幕府の権威は急速に失墜した。
この時期、攘夷思想と開国志向の対立は激化し、国内は動乱に陥った。尊王攘夷運動は各藩の独自外交・軍事行動を誘発し、薩摩や長州などの有力藩は積極的に西洋の軍事技術を導入した。一方で幕府財政は逼迫し、藩財政や国内経済体制の改革は不可避の課題となった。
明治維新(1868年)により政権は徳川幕府から新政府へ移行し、日本は近代国家建設に突き進んだ。廃藩置県と中央集権化、徴兵制の導入、近代的な税制・貨幣制度の整備、殖産興業の推進は国家の最優先課題であった。さらに欧米列強に対抗するため、軍事・産業・教育の西洋化を徹底し、富国強兵を国家戦略の根幹とした。
この時代、日本社会は伝統的身分制度の解体と資本主義経済の萌芽を同時に経験した。都市部では商業が活発化し、鉄道・銀行・株式市場が急速に整備され、地方でも産業振興が推進された。日本は制度面と技術面の両輪によって、国家全体で近代化を遂げたのである。
五代友厚は、まさにこの激動の時代に生き、薩摩藩士として西洋の知識を吸収し、後には大阪を拠点に近代日本経済の基盤づくりに尽力した。