1836年(天保6年)、五代家の次男として薩摩(現在の鹿児島県)で誕生。幼名は徳助または才助。薩摩藩の郷中教育や儒家であった父の薫陶を受ける。小松帯方とは旧知の仲。21歳で長崎の海軍伝習所へ入学し、勝海舟や英国武器商人トーマス・グラバーと出会う。カッテンディーケ先生から諸藩の優等生とともに世界を学び、富国強兵より殖産興業の大切さを知る。薩英戦争では捕虜となり、同郷の者たちから追われる中で武士道の限界を知る。国禁である英国留学を国父・島津久光に上申し、引率者として薩摩英国留学生生涯の親友で英語通訳士である堀孝之とともに欧州行きを果たす。国家の有り様、動き出した資本主義の力を垣間見る。日本の未来を見据え、上海行きで出会った高杉晋作、坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通ら歴史上の名だたる人物たちの橋渡し役を担い、明治維新に多大な影響を与える。明治政府では参与・外国事務局判事、大阪府権判事などを歴任。政府が危機に陥った際は立て直しのため陰から支え、大久保利通の国家建立に協力する。政府の基礎は経済だと考え下野。幕末以降低迷した大阪経済の復興に尽力する。大阪証券取引所や商工会議所等を設立し近代日本経済の基礎を作る。自らは100万円の借金を残して、1885年(明治18年)に病気により49歳でこの世を去る。*年号は新暦記載
